"To The NEXT 100 Yrs" 次の100年へ。
OBから現役世代へ。さらには未来の京大ラガーに向けて幅広く未来を語り、繋ぐ、インタビューコンテンツです。
日本の外交の中枢で活躍するOBがいる。駐中国大使として11月25日に着任した垂秀夫さん(昭和60年卒、WTB)。中国での幅広い人脈、情報の分析力は国内でも群を抜くと評される。赴任前、インタビューに応じた垂さんは、京大ラグビー部で学んだ「ノーサイド」の精神は、国同士の外交でも必要なものだと語った。
取材:平成14年卒・谷口 誠(日本経済新聞 記者)
――京大ラグビー部で特に印象的な思い出は何ですか?
友人と一緒にボールを追い掛けることで、「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」「ノーサイド」の精神が自然と身に付いたことが良かったですね。この2つは社会に出てからも最も大事なことです。ラグビーをやることで得たものは確かにありました。
――その経験は外交官人生でも役に立ちましたか?
外務省という組織の中で仕事をしてきたから、常にワン・フォー・オールという意識でやってきました。
――外交でもノーサイドの精神は重要ですか?
もちろん。外交に100対0なんてないんですよ。良くて51対49。50対50でもいい方なんです。相手とWin-Winの関係になることや、ノーサイド、敵はいないという気持ちを常に持っておくことは大切です。
私は日本の外交官だから、国益、日本のために仕事をするわけですよ。でも「日本だ」「日本だ」と100%言っていると、うまくいかないに決まっている。それでは人脈なんかできるはずがない。「相手が何を求めているのか」「相手が何をしてあげれば喜ぶのか」と考える。敵味方がないというか、(交渉が)終わった時には手を握るという気持ちを持っておくことは人脈構築で大事なことです。
――過去に中国に赴任していた時は、年間300回以上、中国人と会食をしていたと聞きます。ここにはラグビー部時代の経験は生きていますか?
あるでしょうね。いつも明るくということと、ラグビーとどこまで関係しているか分からないが、突破力やチャレンジする精神というか。何かをしようと思った時に頑張って突き進む。そのためには努力も必要ということは共通しているでしょうね。
――ラグビーやスポーツが、外交において持つ意義は何でしょうか。
スポーツはボーダレスだから、お互いに素晴らしいことに関しては拍手を送り合う。お互いに切磋琢磨したり、スポーツで感動を与えることには国境がないんですよね。東京五輪の半年後には、(冬季の)北京五輪があります。東京、北京の五輪を成功につなげることは私の大事な仕事のひとつだと思い、赴任前にスポーツ関係者にもご挨拶に参っています。
日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長や、日本パラリンピック委員会の河合純一委員長、スポーツ庁の室伏広治長官の所にも行き、「日本大使館として最大限ご協力させて下さい」と申し上げてきた。中国に行ったら中国の関係者ところに着任の挨拶に行き、同じことを申しあげようと思っています。
――垂さんが3回生の時、京大ラグビー部が創部後初の関西大学Bリーグに降格。しかし、4回生ではすぐに昇格を果たしました。
みんな相当ショックだったので、一丸になってやったということに尽きるんじゃないですか。今もそうだと思うけど、OB会の支援があったからだとも思います。
――現役時代はWTBでしたが、どんな選手でしたか?
単に少し足が速かっただけですよ。でも国公立大学というのはそんなに強くないじゃないですか。なかなかボールも回ってこなくて。そういう意味じゃ大変でした。ラグビーはやっぱり力の差がそのまま出ますからね。はっきり言って、それは大変だったと思います。
――学生生活はどんな様子でしたか?
現役の学生には良くないでしょうけど、授業になんか出なかった。ラグビーを口実に出なかったというのが事実かもしれませんが。月曜がオフだったのでアルバイトをする。練習のある火曜から金曜までは(グラウンドのある)宇治に、バスに乗っていく。土日は練習試合の生活でした。
平日は昼ご飯を食べてからバスに乗って宇治に行き、帰ってくると夜9時くらい。それから雀荘に行ってラグビー部以外の友達と麻雀をして。また昼頃起きてね。悲惨な大学生活でしたね。(夏や1~2月の)オフの期間はそれなりに色々なことができましたが。
1、2回生の時はそんな生活でしたが、3回生から外交官になろうと思って試験の勉強をすることにしました。麻雀もやめ、ラグビーの時間以外はずっと勉強。ただ、結局、大学には行っていません。自宅で勉強していましたからね。食事の時も風呂やトイレに入っている時でも、頭の中ではずっと(試験で)どんな論文を書くかと言うことばかり考えていました。京都大学っていうのは自由ないい大学で、そんなダメな学生でも卒業させてくれました。
――京大ラグビー部の部風とは何でしょうか?
あるんですかね(笑)。みんなが和気あいあいとしていましたけど。良かったのは、大使として中国に行くことが決まった後、同期がみんな集まって送別会をしてくれました。コロナで会社から「大人数で集まってはいけない」という指示が出ていたり、外国にいる人はオンラインで参加してくれて。wi-fi もないような所にいる人は電話で参加した。同期全員が集まったのは初めてじゃないかな。こういうのはやっぱりうれしいですよね。
ラグビー部の先輩の中にも送別会を開いてくれた方やわざわざ大阪から会いに来てくれた方もいた。そういう大事にできる人間関係が持てたというのは、一つの事をみんなでやったっていうそういう共通意識があるからでしょうね。学年が違っても、あるいは同じ時間に同じ場所で過ごしていなくてもいいんです。ラグビーをやっていたというだけで「あの苦しみを経験したんですね」となり、先輩が声を掛けてくれたり、大学を超えて一遍に仲良くなれる。国会議員の先生の中でも、何人かがラグビーをやっておられた。私が非常にお世話になった遠藤利明先生なんかもよく声を掛けてくれますし、本当にありがたい話ですね。
――最近はラグビーはご覧になりますか?
2019年のワールドカップは涙涙。涙なしには見れませんでした。いまだに YouTube で名場面集みたいなものを見ると涙しか出ません。特に日本戦は素晴らしかった。スコットランド戦、アイルランド戦の2つは特にすごかった。イングランドと南アフリカの決勝戦は現地まで行きました。世界ナンバーワンを決める戦いでしたからすごい感動でしたよ。ワールドカップは本当に素晴らしかった。
日本のホームタウンの受け入れ体制も素晴らしかった。釜石や北九州とか、私の両親の田舎の別府とか。別府はウェールズ代表がキャンプをしましたが、ウェールズ語で国歌を歌って歓迎したとか、そういう話がたくさんある。ワールドカップは日本らしさとノーサイドの精神が融合して昇華した、素晴らしい大会でした。
(日本ラグビー協会会長時代にワールドカップを日本に招致した)森喜朗元総理大臣の所にも中国大使になるということでご挨拶に行きました。「ワールドカップを日本でやっていただき、本当にありがとうございました。私も京都大学ラグビー部で4年間やりました」と申し上げた時は、非常に喜んでおられました。(京大の前身の)旧制三高と慶応大学が日本で一番最初のラグビーの試合をやったのが下鴨神社の境内ですが、そこの(下鴨神社の末社の「雑太社」の)お守りも持っておられました。
――京大ラグビー部が2022年に100周年を迎えます。
一口で100年といっても、戦争を経ての100年ですから本当に大きな意味がありますよね。1920~30年代、戦争の時にもラグビーをやられた方に、心から敬意を表します。常に誇りに思うのは、(1910年創部の旧制三高ラグビー部時代を含めると)我々が慶応大学とともに、最も古くラグビーを始めた大学だということですね。これが常に微かな、小さいながらも確かな誇りになっているというか。あまり優越感を持っても良くないし、現実に強くなっていかないといけないでしょうが、やっぱり100年続けているという重みは非常に誇りに思いますよね。
――国公立大は選手を集めることも難しく、環境的にも恵まれていない学校が多いですが、その中で京大ラグビー部が戦う意味は何でしょうか?
体が小さかったり、経験者が集まらないということがあるかもしれないですが、昔みたいに根性論でラグビーをやる時代は終わっている。精神論でない、練習や試合の運び方を含め、頭をうまく使ってやっていってほしい。それとラグビー自体が変わってきているので、京大が率先して開拓していってもらえたら。偉そうに聞こえたら申し訳ないけど、私も当時はそんなことは何も考えていませんでしたから、とにかくエンジョイしてくださいということですね。
――今年は新型コロナウイルスの影響もあり、部員集めや練習にも影響が出ています。
去年のワールドカップの感動は、日本国民みんなが感動したと思う。あれをぜひうまく使って、来年の新歓はうまく成功してもらいたい。それからもう一つ申し上げたいのは、関西が強くなってほしいということですね。僕らの時代は大八木や平尾や林がいて、同志社がとても強かった。「明治や早稲田がなんや」と。ぜひ関西がもっと強くなってほしいですね。
(2020年11月17日外務省にて 取材:H14 谷口 誠/撮影:H2 西尾 仁志)
▼垂秀夫さんのプロフィール
1961年、大阪府生まれ。天王寺高校を経て、京都大学法学部を卒業した1985年に外務省入省。中国・南京大学に留学した後、中国に3度、台湾に2度、香港に1度赴任。2020年9月に駐中国大使を拝命をする。2006年、当時の安倍晋三首相の初訪中の際には、日中が共通の戦略的利益を追求しようという「戦略的互恵関係」を発案した。日中政府が合意したこのキーワードは今も両国関係の基盤にある。趣味は風景写真で受賞作は400点以上。中には、環境大臣賞などの受賞歴もある。
▼垂 秀夫氏インタビュー:ダイジェスト版(7分)
▼垂 秀夫氏インタビュー:フルバージョン(26分)
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